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石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト

拝 殿 [ 国 宝 ]

拝殿[国宝]当神宮への御崇敬が厚かった第72代白河天皇が、当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)のために、永保元年(1081)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。建築様式の区分では鎌倉時代初期の建立と考えられます。いずれにしても拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されています。
なお、文明2年修復、貞享元年上葺、享保18年修補、元文5年上葺、寛政10年修復、安政6年屋根替、計6枚の棟札が現存しています。
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禁足地(きんそくち)

禁足地(きんそくち)拝殿後方の、「布留社」と刻字した剣先状の石製瑞垣(みずがき)が取り囲む、東西44.5m、南北29.5m、面積約1300平方mの地を「禁足地」といい、当神宮の神域の中でも最も神聖な霊域として畏敬(いけい)されています。
明治以前は南側の半分強(南北約18m、面積約800平方m)だけで、当神宮御鎮座当初からのものかどうかはあきらかではありませんが、古来当神宮の御神体が鎮まる霊域として「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」或いは「御本地(ごほんち)」、「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。
また、明治初年までは中央東西約8.6mにわたり高さ約85cmの高まりがあり、そこに「かなめの木」と呼ぶアカメモチ一株が植わっていたとのことです。
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本 殿

本殿当神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があったため、明治7年8月に当時の大宮司 菅政友(かんまさとも)が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明されました。
その後、明治43年から大正2年にかけて神剣「韴霊」を奉安するために本殿を建立し、この折に禁足地を北側に拡張、そして当時拝殿西隣にあった神庫(ほくら)を禁足地内の南西の隅に移築して、現在の状態に整えられました。
神剣「韴霊」が顕現された地点は本殿と拝殿との間で、現在大きな石を置いて標示してあります。また、神剣と共に出土した玉類などは、その多くが重要文化財に指定されています。
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神庫(ほくら)

神庫(ほくら)禁足地の南西の隅に建っている二戸前の校倉(あぜくら)造の建物で、垂仁天皇紀に「天神庫(あめのほくら)」と見えることからも、相当古くから神庫があったことが知られます。
現在の神庫は嘉永4年(1851)に再建されたもので、もとは禁足地の外の拝殿西隣に建っていましたが、本殿建立工事に伴い、明治45年に現在の場所に移築されました。
神庫は御神宝を収蔵する庫であると同時に神格の宿るところとされ、毎年12月31日に「神庫祭(ほくらさい)」を斎行して御神宝の御安泰を祈願しています。
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楼門(ろうもん)[ 重要文化財 ]

楼門(ろうもん)[重要文化財]棟木に記されている墨書によると、鎌倉時代末期、第96代後醍醐(ごだいご)天皇の文保2年(1318)に建立されたことが知られ、重要文化財に指定されています。
往古は鐘楼門として上層に鐘を吊るしていましたが、明治初年の「神仏分離令」により取り外され売却されました。
二重の正面に掲げてある木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の字は、明治・大正の元老として有名な山縣有朋(やまがたありとも)の筆によるものです。
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摂社 出雲建雄神社拝殿(せっしゃ いずもたけおじんじゃはいでん)[ 国 宝 ]

摂社 出雲建雄神社拝殿(せっしゃ いずもたけおじんじゃはいでん)[国宝]元来は内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守の住吉社の拝殿でしたが、大正3年に現在地に移築されました。
内山永久寺は鳥羽(とば)天皇の永久年間(1113~18)に創建された大寺院でしたが、神仏分離令により明治9年に廃絶しました。その後も鎮守社の住吉社は残されましたが、その住吉社の本殿も明治23年に放火によって焼失し、拝殿だけが荒廃したまま残されていましたので、当神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿として移築しました。従ってこの建物は内山永久寺の建物の遺構として貴重なもので、国宝に指定されています。
建立年代については、はじめは保延3(1137)年に建立され、その後13・14世紀に2回の改築により現在の構造・形式になったと考えられています。
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