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石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト

御祭神(ごさいじん)

主祭神(しゅさいじん)

布都御魂大神
(ふつのみたまのおおかみ)
当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と申し上げます。
韴霊とは、古事記・日本書紀に見える国譲りの神話に登場される武甕雷神(たけみかづちのかみ)がお持ちになられていた剣です。
またその後では、神武(じんむ)天皇が初代天皇として橿原宮にて御即位されるのに際し、無事大和(奈良県)にご到着されるのをお助けになられた剣でもあります。
神武天皇は御即位された後、その御功績を称えられ、物部氏の遠祖 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じて宮中にてお祀りされました。第10代崇神天皇の7年に勅命によって、物部氏の祖 伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が現地、石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)にお遷ししてお祀りしたのが当神宮の創めです。
布留御魂大神
(ふるのみたまのおおかみ)
天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿られる御霊威を称えて布留御魂大神と申し上げます。
天璽十種瑞宝とは、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神(あまつかみ)から授けられた十種の神宝で、それらには〝亡くなられた人をも蘇らす〟というお力が秘められておりました。
後に饒速日命の御子 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)がこの神宝を用いられ、初代天皇と皇后の大御寿命(おおみいのち)が幾久しくなられることを祈られました。これが鎮魂祭(みたまふりのみまつり)の初めになります。その後宮中で韴霊(ふつのみたま)と共にお祀りされていましたが、崇神天皇7年に韴霊と共に現地、石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)に遷されました。
布都斯魂大神
(ふつしみたまのおおかみ)
記紀神話に見える、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲国(島根県東部)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治されるのに用いられた天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿られる御霊威を称えて布都斯魂大神と申し上げます。

配祀神(はいししん)

宇摩志麻治命
(うましまじのみこと)
饒速日命(にぎはやひのみこと)の御子で、当神宮祭主(さいしゅ)物部氏(もののべし)の祖神と仰がれています。
御父饒速日命が天津神(あまつかみ)より授けられた天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)を受け継ぎ、その瑞宝のお力を用いて鎮魂(みたまふり)の神業(かむわざ)を行い、初代神武(じんむ)天皇に忠誠を尽くしました。
忠誠を喜ばれた天皇は、命(みこと)を武臣の首座に任ずると共に、韴霊(ふつのみたま)の祭祀も司らせられました。
五十瓊敷命
(いにしきのみこと)
第11代垂仁(すいにん)天皇の皇子で、第12代景行(けいこう)天皇の御兄にあたられ、当神宮の神庫(ほくら)の管理を掌られました。晩年にはその職掌を御妹の大中姫命(おおなかつひめのみこと)に譲られようとするも、手弱女(たおやめ)の身ゆえと辞退された為、その管理は物部十千根大連(もののべのとおちねのおおむらじ)に委ねられることとなりました。
白河天皇
(しらかわてんのう)
第72代の天皇で、歴代天皇の中でも特に当神宮への崇敬が厚く、永保元(1081)年には宮中の神嘉殿(しんかでん)を当神宮の拝殿として寄進され、神門を改築し勅使を遣わされ、寛治6年(1092)には上皇として親しく行幸されました。毎年10月の当神宮の例祭の渡御(とぎょ)はこの時より始まったといいます。
市川臣命
(いちかわおみのみこと)
第5代孝昭(こうしょう)天皇の皇子の後裔(こうえい)、米餅搗大使主命(たがねつきおおおみのみこと)の御子です。当神宮社職の祖で、第11代垂仁(すいにん)天皇の御世には既にご奉仕になっており、御子孫は布瑠宿禰(ふるのすくね)と称し、祭主物部連(もののべのむらじ)に副(そ)って永く祭祀にご奉仕されました。
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