朝に桜の開花が始まり、やがて日暮れて月光に照らされるその花は朧なる月の光をうけて桜色ににじんでいます。
秋の澄み渡った空に皎々と光る月とは対照的に湿気を帯びて、少々温かい空気を伴なって花の芳香が漂うと、春特有の何とも言えない艶
(なまめ)かしさを感じます。
『更級日記』に菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の詠んだ歌として「あさ緑花もひとつに霞みつつ 朧に見ゆる春の夜の月」があ
り、ある夜に宮に仕える女が友達といる所に貴公子がやって来て、簾(すだれ)ごしに春と秋のどちらに心惹かれますかとの問答に応じて答
えた歌とあります。やはり春の月は何やら妖艶なものなのかも知れません。
この月に最近の研究によると「水」が存在し、しかも有効な資源もあるらしいことがわかってきました。これにあわせて月面生活圏の構築
も模索されています。
小子も夢大きい月の宝物探しにカウントダウン完了し、ちょっと行ってきたいと思います。ではいつの日かまた。①
桜の花が一斉に咲き出してきました。
花と言えば現在では桜となっていますが、これは平安後期以降のことで、それまでは花の主役は梅で、『万葉集』には120首も出てお
り、桜は46首しかありません。
この桜を歌に表現すると、サクラは3音なので、花の2音をともなって5音にすると作り易くなり、46首の半数ほどが「桜花」となって
います。たしかに5音になると謳いやすいです。
この桜花、今かいまかと待ち侘び、咲き始めるのを楽しみにしていた分だけ、咲けば咲いたで心ない強風が心配の種となり、ある日突然に
風に舞う花吹雪の落花、終に桜が花道を去っていく場面は寂寥たる思いがあります。
そう言えば歌舞伎の「花道」は客が贔屓(ひいき)の役者に花やご祝儀を送る道として作られたとか、また花のある役者がその通る道のはな
やかさを示す命名とか。
花のない小子には去っていくにも見事な見得も切れないので、花道を輝しく飾るのは難しいことだと納得するばかり。②
現在、拝殿の後方の禁足地には本殿と神庫の二棟が建っています。その昔は今と同じように四周を瑞垣(みずがき)で囲まれているこの地を
「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」あるいは「御本地(ごほんち)」「神籬(ひもろぎ)」などと称えられて、建物は一切なく、当
神宮の御神体はこの地の土中深くに祀られていると伝えられていました。
明治7年に時の宮司が官許を得て調査、古墳時代前・中期の玉類、剣、矛(現、重要文化財に指定)と共に神宿る神剣が発見され、やがて御
神体をまつる御本殿が建てられました。
続いて禁足地の外にあった神庫も中に移築され、現在の姿になっています。
この神庫の伝承として『日本書紀』垂仁天皇87年2月5日の条に石上神宮の御神宝をおさめている天の神庫(ほくら)を管理していた五十
瓊命(いにしきのみこと)が年老いたので、妹の大中姫にまかそうとしたら、姫は「私はか弱い女なので、どうしてあんな高い天の神庫に登
ることができましょうか」と辞退したことが記されています。
この神庫周辺には、いつの頃からか椿が生え、神庫椿(ほくらつばき)と呼ばれています。
今年は咲き出してから、比較的寒い日が続き、花期が長く今が盛りとなっています。③
当神宮の外苑公園とその周辺の桜並木に早々と桜ボンボリが取り付けられ、23日からは桜のライトアップが始まります。
長崎、福岡、東京はすでに開花発表があり、当地もいよいよ桜の開花を待つばかりとなりました。
年々に桜の開花が早くなって、気象庁の統計では10年あたり1日の割合で縮まり、この60年で1週間ほど早くなっているとか。
そう言えば60年程前の小学校の入学式の時は桜が咲きはじめて、朝日に輝く桜の下を親に手を強くひっぱられて行った記憶が蘇ってきま
す。
現在はと言うと、散り急ぐ花吹雪舞う道中、少々演歌っぽい景色になっています。
やはり地球の温暖化などによる気温の上昇が主因と考えられています。
この時期になるといつも次の一節が思い浮かんできます。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」-同じように毎年花は変わることなく咲くが、その花を見る人は同じではなく異なってい
る。
少々早まっては来ているものの変わらず咲く桜の花の不変と確実に年を一つずつ重ねていく人の世の無常を開花を待つ桜に感じ入っていま
す。④
蕗の薹の薹とは、アブラナ・フキの花茎(つぼみ)を指すらしい、また塔の意味もあると言い、あの少々ほろ苦いつぼみのことです。
すでにとうが立ち、食に貪欲な皆様がすぐ思い浮かべるのは、天ぷらや味噌炒めなど食べるものだと存じます。
春の到来を最も如実に教えてくれる山菜で、神宮周辺でも生育しているので、毎年今頃になると春の発見を楽しみにしています。
今年は2、3日油断していたので、すでに姿を現わし、若草色が新鮮でいかにも只今出現中と言った風情(ふぜい)です。
数少ない我が国原産の野菜の一つとありますが、『万葉集』には出てこないので、当時は関心がなく、これの栽培は奈良・平安時代となる
のでしょうか。
各種ビタミンやカリウム、カルシウムなどミネラル多く、食物繊維も豊富なので、お通じに効果的とか。
これを具にした味噌汁を常食すると、スタミナがついて、喉に良く、整腸・浄血作用が大いにあるとは言いませんが、期待できるそうで
す。
皆様も特有の香り、ほろ苦さとともに春来るの季節感を味わってみてはいかがですか。⑤