石上神宮フォトログ 山の辺の杜から
2017.08.30
稲の花こぼれる
テーマ:境内

 

来る9月1日は雑節の一つ、二百十日で立春から210日目の日で、ちょうど稲の開花期に当たります。

この頃はよく台風の来襲する時期で、二百二十日とともに注意を要することより、渋川春海が暦に初めてとり入れたと言われています。

当地では数日前より青々と成長した稲の穂から白い花が顔をのぞかせ開花が始まっています。

昼頃に30度を越え、空気が乾燥してくると咲き始めるらしく、中から出てくるのが雄しべで、中に雌しべがあり、効率良く自家受粉して

結実します。

それでも驚くことにその花粉の寿命は2、3分しかないそうです。

日本で本格的な水稲耕作が始まった弥生時代は田の大きさの一辺が3~4メートルで形も地形にあわせてまちまちで、今で言う千枚田のよ

うでした。

これが今のように広い大きな田に比べると手間がかからず、短い期間ででき、しかも水の管理が容易で、たいへん効率的であったと言われ

ています。

技術の進む社会の中で、ヒト中心とキカイ中心の二つのやり方について一考してしまいます。

2017.08.27
あらゆるうつしき青人草
テーマ:境内

 

「古事記」「日本書紀」「万葉集」など最古の書物に青人草(あおひとぐさ・蒼生・萬生)とよく出てきます。

人の多く生まれるのを草の成長力と繁り増えるのにたとえて、人々・国民のことを言い、民草という表現もあります。

表題の意味は、この日本に生きているすべての人たちと言うことになります。

この時期は神宮周辺につながる小径は草が猛然と伸び、草刈との競争となります。

古代の神話的世界では、自然のあらゆるものに精励が宿り、草木もみなよく言語(ものいうこと)ありと「日本書紀」にも記され、すべての

ものに生命と超自然的な存在を認識していて、草木もやかましい程にざわめいていたことが語られています。

また刈り取ったままの草は「荒草(あらくさ)」と表現され、人の手の触れない遠い野原の荒草は、清浄な敷物として設けととのえられるこ

とになっていました。

古代、身の廻りの草に種々の霊力を認め、草や木を結んでその力を得ようともしたものです。

熱苦しい夜は草を結んで枕にでもして、良い夢でも見たいものです。

2017.08.24
光放てり蜘蛛の糸
テーマ:境内

 

この時期、境内に出ると此処彼処(ここかしこ)蜘蛛の囲があり、毎々同じ所でかかるので心優しい小子でも少々腹立たしい思いになりま

す。

蜘蛛はなんと世界に3万5千種ほどいて、日本には1400種以上いると言われています。

最近はいろいろの外来種が日本に流入、四季豊かに育つ無菌状態の上品な日本の動植物界は、跳梁跋扈する外国産にその様相が急変してき

ています。

さすがに腹立たしい蜘蛛の囲も夕立ちを受け、その後に射し込む夕陽を受けると、驚くほどの美しい光を発します。

キラキラと輝くスペクトルは見ていて飽きないものがあります。

くもあれば楽もあり。

2017.08.19
偲ばるる蝉の声
テーマ:境内

 

近年夏の暑さが高温になったせいか、蝉も大形のそれが多くなり、ひ弱な小形の蝉が少なくなったと聞く。

特に都市部では顕著とのことで、公園で鳴いているのは日本の蝉類中では最大となる熊蝉がほとんどで、「シャアシャア」とその声も大き

い。

子供の頃の当地では初夏より晩夏に至る蝉の順番が決まっていて、ニイニイゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミ

の順で、中間の一ヶ月程の朝夕はヒグラシが「かなかな」と高く美しい声で鳴くことになっていた。

毎年夏休みの終りに聞くツクツクボウシはまだ終っていない宿題をせき立てられているようで、今も聞けば胃が痛む。

小形のニイニイゼミの声を最近聞かないので、やはり環境の悪化を心配する。

『万葉集』には三首詠われていて、二首はヒグラシ、一首は種類不明となっている。

不明の一首(3617番)の歌は、安芸国長門島(あきのくにながとのしま)で停泊中に詠まれたもので、蝉の声を聞くと平安京のみやこが恋

しく思われるとあって、やはりこの情緒に答えられるのはヒグラシと思われる。

夕暮れに社務所から遠くで響くヒグラシは今も恋しい思いにさせられるものです。

2017.08.16
古色蒼然(こしょくそうぜん)
テーマ:境内

 

古色とは年を経た色、古びた様子を言い、蒼然とはあおいさま、薄暗いさま、古びて色あせたさまを言い、四字で古びた色合いがはっきり

と現れ、年代を経た趣が歴然としているようすを指す。

苔生し軒しのぶ茂る燈籠は江戸時代後期、文化十年(1813)と刻まれ、「常夜燈」と深彫りされている。

棟木に鎌倉時代後期となる文保二年(1318)の墨書銘を持つ楼門の前に一対で建っており、楼門の修理の記録は数多くはなく、或いは文

化十年にも修理が終って、記念に建てられたものかも知れない。

重層の二階部分の正面には、木額が掲げられていて、建物は古色蒼然としているが、「萬古猶新(ばんこなおあらたなり)」とあり、神様の

ご神威は永遠に生き生きとした力が働らいていらっしゃることを示しています。

何かしら古びてはいるものの、光る強い力を感じます。