石上神宮フォトログ 山の辺の杜から
2017.11.05
怒っているのん?
テーマ:境内

 

日ごとに秋めいて、境内の各所にある落葉樹はその樹木ごとに、紅葉あるいは黄葉して、微かなそよぎに一葉、また一葉ハラハラと舞い

散っていきます。

よく見ると黄色で散るもの、紅くなって落ちるもの集中的に散る期間も微妙に違いがあって、木々によって異なっています。

桜、柿、樫、椎、楠、紅葉などなど時期はズレていて、その中に病葉(わくらば)が混ざっています。

中には落ちて、こちらを睨み付けるように怒っているらしき葉もあって、思わず手に取ってまじまじと表側、裏側と見てしまいます。

よほど虫に喰われたことに腹立っているのでしょうか。葉にも木にもストレスがあるのかも。

きっとのほほんと笑っているものもあると思うので、次回は笑っている葉っぱちゃんを見つけることにします。

2017.11.02
麗しい小春日和(こはるびより)
テーマ:境内

 

ここ2、3日は気持ち良い青空にも恵まれています。

青空の元は太陽の光が空気の分子にぶつかって散乱する時に、波長の短い青い部分ほど強く散らばることによると言われています。難しく

は「レイリー散乱」と言う。

空気がよく乾燥して、澄んでいる青空は天が高く見えて、日向での日光浴が嬉しい時で、古くより小春と称され、『徒然草』にも「十月

(陰暦の)は小春の天気、草も青くなり・・・」とあります。

この表現は世界各国にもあって、ドイツでは「老婦人の夏」、ロシアでは「女の夏」と言うそうな、アメリカはインディアンサマー。冷え

込む時期に女性の温かさがにじみ出ています。

こんな陽射しを浴びて、明日の明治祭の準備をしていると、光まで麗しく見えてきます。

2017.10.31
秋光うれし
テーマ:境内

 

早いもので今日で10月も終ってしまいます。

一年のうちで最も好きな時期であったのに、雨ばかりの毎日でした。

月末に一挙に挽回とばかりに20日ぶり、早朝から晴れ渡たり、今日は安心して手帳に「快晴」と記す一日になりそうです。

ニワトリ君たち境内の各所、秋の光り差し込むところに、三々五々集まってきて、毛繕いをしてそのあと砂場でゴロゴロとしています。

見るからにほっこりとしているようで、こちらもゆっくりとした気分になってきます。

日本の秋はこうでないといけません。

こんな時こそ、秋の風情に同調して、床の間には短冊を、手前に据える花はざっくりと野の残花、そこで無地ものの茶碗で心豊かに行く秋

をいただきたいものです。

2017.10.28
そぼ降る土曜日
テーマ:境内

毎週土・日曜の台風来襲はどうにかならないものでしょうか、しかも年中のなかで、晴天に恵まれるはずの好季、一番行事の多いこの時期

に。

各地で一年をかけて計画を練ってきた数々の楽しい行事が中止に、台風を恨むばかり、列島の遠い所を急いで東進してほしいものです。

そぼ降るとは、しとしとと降ると言った意味で、『万葉集』に「・・・青雲の たなびく日すら 霂(こさめ)そぼふる」(3883番)と

あって、そぼふるは万葉の時代から使われている古い言葉です。

今からおおよそ1300年前の国・社会の仕組みも国のかたちも、人々の暮らし方も全く違っているのに、当時の人が詠んだ歌の内容

、人々の悲嘆、自然の感じ方、喜怒哀楽の心の動きなど今とかわる所がありません。どれだけ時が過ぎても所詮人間の思う事は同じなん

だ。などとそぼ降る雨に思いを致しています。

 

2017.10.25
尾花が上の白露
テーマ:境内

 

『万葉集』の大伴家持の歌に「我がやどの尾花が上の白露を消たずて玉に貫くものにもが」(8-1572・わが庭のススキについた白い

露、消さずに玉として糸に通したい)。

山野に自生するのではなくわが庭にあるススキが詠まれていることに注目。

集中にススキ歌っているのが44首あって、意外に多いことに少々驚きます。

「すすき」が18首、その花の「尾花」が18首、「かや」として10首あり、この中に「すすき」と「尾花」の両方を詠み込んだのが2

首あり、計44首。

いろいろな表現がなされていて、この時代の人々のススキにかける美意識は大変高く、強いものがあります。新造成された平城京に居住す

ることとなり、人々は野原に生える草木をわが庭に植えて、観賞し歌を詠んだことがわかります。今で言うとベランダに植えるようなもの

(?)

この歌を眺めていると次のようなシーンが浮かんできます。ススキの穂先に置いた白露をそっと手に取り、輪にしていい人の首につける

と、昇る朝日を受け忽ちにその露はキラキラと金・銀色に輝いて、この世のものとも思えぬ美しい首飾りになると言うストーリーです。

でも現実は玉のような白露はゴツゴツした手で掴むのは無理だと、無骨な手を見て納得しています。