English

石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト

石上神宮

神庫(ほくら)

神庫禁足地の南西の隅に建っている二戸前の校倉(あぜくら)です。垂仁天皇紀に「天神庫(あめのほくら)」と見え、相当古くから神庫があったことが知られます。現在の神庫は嘉永4(1851)年に再建されたもので、もとは禁足地の外の拝殿西隣に建っていましたが、本殿建立工事に伴い明治45年に現在の場所に移築されました。
神庫は御神宝を収蔵する庫であると同時に神格の宿るところとされ、毎年12月31日に「神庫祭(ほくらさい)」を斎行して御神宝の御安泰を祈願しています。
当神宮の御神宝の中でも殊に有名な七支刀(しちしとう)や鉄盾(てつたて)は、この神庫に収蔵されてきた伝世品で、現在ではほかの主な御神宝と共に、昭和55年に完成した宝物収蔵庫(ほうもつしゅうぞうこ)に奉安してあります。
御神宝の刀については次のような昔話があります。
説話 『宝剣小狐丸(ほうけんこぎつねまる)』

ある木枯らしの吹く寒い冬の夜、布留の里の女が寂しい菅田の森にさしかかりました。1人ではなんだか心細く、怖いなあ、何も出なければよいが、と思って歩いていると、後ろから呼び止める声がします。女はギョッとして立ち止まりました。
 
「もし、女衆(おなごし)さん、私の子どもがおなかをすかして泣いています。母に死なれた子どもはふびんです。どうか乳を恵んでやってください」と、キツネがいともあわれな声を出して女に訴えました。女はほっとして、「かわいそうな子ギツネよ、私の乳を飲ませてあげましょう。私は毎夜この時刻に、ここに参りますから」と言い、毎晩通っては子ギツネに乳を授けてやりました。
キツネは大変喜び、恩返しをしようと、ある刀鍛冶の弟子に化け、向槌(むこうづち)を打って一振りの刀をこしらえました。立派な刀ができあがり、キツネはその刀をお礼にと女に贈りました。女は大そう喜んで「小狐丸」と名付け、自分の守り刀として大切にしていました。

その頃菅田の森の池に、恋に破れた女の化身の大蛇が現れ、毎夜大暴れしては花嫁を連れ去り、田畑を荒らして、人々を苦しめていました。そのことを聞いた女は、キツネの助けを借りて大蛇を退治しようと、池に向いました。女はキツネからもらった小狐丸をふるって、大蛇に斬りつけました。大蛇は暴れ狂い、のたうちまわって抵抗しましたが、ついに小狐丸にのどを突かれ、真っ赤な血で池を染めながら退治されてしまいました。村人も大喜び、小狐丸を持った女にみんなで礼を言い、喜び合いました。
大蛇を退治して帰る途中、三島の庄屋敷(しょうやしき)の東、姥が堰(うばがせき・うばがい)で刀の血のりを洗い清めたといわれています。女は自分の里の布留郷(ふるのごう)へその刀を持ち帰り、石上神宮に献上しました。

小狐丸は、江戸時代に古墳の盗掘が流行した頃、この刀を持っていくと墓のたたりがないといわれ、一時盗賊の手に入り、魔よけに使われていたこともありましたが、その後、ある殿様の手に渡りました。殿様はあまりのすばらしい刀に、これはなみなみならぬ刀であろうと由緒をたずね、もとの石上神宮に戻ることになりました。何度も盗難にあった刀でしたが、今はもとの神宝として石上神宮の神庫に納められています。
刀を抜くと子ギツネの走る姿が現れるというこの不思議な刀には、こんないわれがあったのです。

印刷用PDFデータ 石上神宮フォトログ「山の辺の杜から」 山の辺の道 周辺ガイド&花ごよみ
Get ADOBE READER
PDF形式のファイルをご覧いただくには、アドビシステムズ社から無償提供されているAdobe ReaderTM プラグインが必要です。